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五年目の真言密教教学講習会に参加して

  • 執筆者の写真: なな 鍼灸院
    なな 鍼灸院
  • 2月26日
  • 読了時間: 3分

今年で五年目となる真言密教教学講習会に、五日間参加して参りました。まだ足の小指を突っ込んだ程度ですが、年月を重ねるほどに「分かっていたつもりのものが分からなくなっていく」という感覚があります。


老師の畠田秀峰住職は、「それで当然です。これから闇に入っていくのです」と仰いました。その言葉は一見厳しく感じますが、表面ではなく、本質の入口に触れ始めたからこそ起きる混乱なのだと受け止めています。混乱していることは、何も知らなかった頃とは違う場所に立っている証であり、これは後退ではなく前進なのだと、前向きに受け止めることにしました。


三密の難しさ


加持法や後夜念誦法では、三密の難しさを改めて痛感しました。

• 身密:手で印を結ぶ

• 口密:真言を唱える

• 意密:仏を観想する


この三つを一致させることは、毎日続けていてもなお難しく、無意識のうちに崩れていることに気づかされます。「続けているという事実」と「出来ているという事実」は全く別のものであり、私は改めてゼロからのスタートに立っているのだと実感しました。


中堂の違和感


住職の会話の中で印象的だったのは、中堂の使い方についての話でした。「今年一番最初に違和感を感じたのは中堂ですね」と笑いながら話され、本来の意味や役割とは異なる使われ方にクスクス笑いが起こりました。時代と共に形だけが残り、本質が置き去りにされることもある。しかし、それに違和感を持つ感覚こそが大切なのだと感じました。密教は形をなぞることではなく、その意味を生きることなのだと改めて考えさせられます。


命の均衡と社会


開会式では、老僧が人口と自然の均衡について話されました。アフリカでライオンを隔離したところ、鹿が増えすぎて草木を食べ尽くし、大地が荒れてしまったという実話です。命は互いの均衡の中で成り立っています。その均衡が崩れた時、すべてが崩れていく。その話は自然界の話でありながら、人間社会の未来そのものを示しているようにも感じました。


空海と歴史の流れ


密祐快住職の講義では、空海という存在を歴史の流れの中で学びました。白村江の戦いの後、百済から多くの人々が日本に渡り、文化や思想が流入。東大寺の大仏建立にも渡来人が関わり、やがて空海は三十六歳にして東寺・高野山の両拠点を支える存在となります。日本という国は、多くの文化の影響を受けながらも、日本としての精神と信仰を守り続けてきたことを改めて感じました。


礼拝加行の体験


そして何よりも厳しいのは礼拝加行です。明朝から108遍、汗だくになりながらただひたすら長時間お経を読み続けます。その時間は苦行でありながら、同時に自分を空にしていく時間でもあります。読み続けているうちに余計な思考が消え、終わった後には不思議なほど静かで澄んだ感覚が残ります。これは理解ではなく、体験としてしか得られないものです。


まとめ


学べば学ぶほど分からなくなる。しかし、それは迷っているのではなく、深みに入っている証です。まだ入口に立ったばかりですが、この道は頭で理解するものではなく、行を通して身に刻まれていくものだと感じています。これからも焦らず、一つ一つの行を大切に積み重ねていこうと思います🙏


 
 
 

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